今回は松平健さんについてです。
松平健さんといえば、最近ではマツケンサンバが有名ですよね!
ノリノリで歌いやすくて盛り上がる歌でつい口ずさんでしまいますが、
マツケンサンバが登場する前の松平健さんの代表作といえばやはり「暴れん坊将軍」ではないでしょうか。
筆者は暴れん坊将軍のキリっとしたイメージが強かったので、
マツケンサンバが登場したときはかなりの衝撃を受けました^^
そんな松平健さんが夜会に登場するとのことなので、
改めて松平健さんの経歴や今の姿、家族などを調べてみました。
一緒に見ていきましょう!
松平健(マツケン)の経歴は?
プロフィール
本名 :鈴木 末七(すずき すえしち)
生年月日:1953年11月28日
出身地 :愛知県豊橋市
血液型 :B型
身長 :177cm
本名が変わってますね。芸名の松平健が浸透しすぎて本名が全くピンときません(笑)
松平健さんのお父さんは鈴木太市さん、お母さんは鈴木いつさんです。
松平健さんは7人きょうだいの末っ子でお母さんが42歳の時に生まれた子だったそうです。
末っ子でしかもこんなイケメンな子なら家族に可愛がられて育ったのかなと想像してしまいますが、時代が今とは違うのでそんなに甘いものではないかもしれませんね。
ちなみに一番上のお姉さんとは20歳差があるとのことです!
松平健さんが通っていた小学校
豊橋市立旭小学校
豊橋には全国的に珍しい市電が通っているのですが、その線路近くにあり、豊橋の中でも賑やかな街の中にある小学校です。
子供のころは運動が大好きで、サッカーや水泳をしていたそうですよ。
2021年には創立70周年を迎え、記念式典と記念行事には松平健さんも参加されました。
松平健さんが通っていた中学校
豊橋市立青陵中学校
中学時代はサッカー部に在籍をしており、ポジションはゴールキーパーでした。また、当初は水泳部にも所属していたそうですよ!
ここでもスポーツ少年っぷりは健在でしたね!
青陵中学校は、豊橋市内の中でも歴史の長い中学校で設立されたのが1947年4月。
かつては、2000人を超えるほどのマンモス校でしたが、分校ができたことや少子化の影響を受け今では650人ほどの生徒数となっています。
松平健さんが通っていた高校
愛知県立豊橋工業高等学校(現・愛知県立豊橋工科高等学校)
偏差値は44~45なので、そこまで高くないですが、ロボット工学科、機械科、電気科、建築 デザイン科、都市工学科の5学科があり専門的な知識を学べる高校となります。
松平健さんが通っていた当時はどのような学科があったかはわかりませんが、同様に専門的な知識が学べたのではないでしょうか。
ただ、松平健さんは高校1年生の時に父親が亡くなったこともあり、早々にこの高校を中退しています。
よって、大学も進学してないようです。
松平健さんのその後
石原裕次郎さんの「太平洋ひとりぼっち」という作品に心を動かされた松平健さん。
男は一人で冒険するものだと。意を決して上京。
そのまま石原裕次郎さんの家行き、役者になりたいと直談判したそうです。
行動力がすごいですね・・・こう!と思ったら突き進むタイプかもしれませんね。
ただ、そこでは今は新人を募集していないという理由から事務所には入れませんでした。
その後、縁があって、大スター勝新太郎さんの事務所へ入ることができました。
そこで勝新太郎さんに可愛がられた松平健さん。
勝さんとの思い出をこのように語っています。
「撮影のとき、食事に連れていってもらったり、キャバレーに呼ばれて行ったり。勝先生はキャバレーでも、突然、ステージにあがって歌い出してしまうのです。人を楽しませるのが大好きなんですよ。ディナーショーに呼ばれていくと、ステージに上がれと言われて、デュエットしたりもしましたね」
https://frag-lab.com/special_interview/79_02.html
「それまではアクションものが好きだった私でしたが、勝先生と出会って時代劇の面白さに気づけたように思います。あの頃は本当にたくさん裏方にもプロフェッショナルな職人さんがいて、みんなで凄いものを作っていたという実感がありました。勝先生が教えてくれたものは、俳優としての“格”だったのでしょう」
https://frag-lab.com/special_interview/79_02.html
勝新太郎さんの事務所へ入ったことで、俳優としての人生がスタートした松平健さん。
勝新太郎さんの付き人をしながらたくさんの大事なことを学ぶことができたようです。
その後、1978年、松平健さんはみなさんご存じ「暴れん坊将軍」で、徳川吉宗を演じることになりました!同シリーズが大ブレイクし12シリーズ24年間のロングランでの放送となり大スターの仲間入りをしましたね。
松平健さんが元々持ってる素質に加え、松平健さんの行動力や熱い思いが夢の実現へとつながったのかもしれません。
松平健(マツケン)は現在(今)は何してる?
そんな松平健さんですが、現在(今)は何をしてるのでしょうか。
2004年にリリースした「マツケンサンバⅡ」がヒットしたことはご存じのとおりですよね。
その後「第46回・輝く!日本レコード大賞』」特別賞も受賞してます。
主な流行りは2004年から2006年でしたが、その後もマツケンサンバを軸に歌や踊りを幅広く披露されてきた松平健さん。
2007年には秋元康とコラボレしシングル「マツケン・パラパラ」発売。
2008年には地元中日ドラゴンズの応援歌「燃えよドラゴンズ! 2008」を披露。そのカップリング曲で新曲「マツケン燃えドラ盆おどり」も収録しています。
また、同年には自らがプロデュースし美人美脚ユニット「Luxis」をデビューさせており、プロデューサーとしても活動した一面も披露してます。
2020年にはYouTubuにの公式チャンネル「マツケンTube」を開設していてユーチューバーとしても活躍してます。
最新の動画がこちらです。
松平健(マツケン)の家族構成は?再々婚の嫁と息子が1人!
幅広く活躍してる松平健さんですが、私生活はどのようなものでしょうか。
松平健さんは3度結婚してます。
最初の結婚
最初の結婚は1990年の12月、松平健さんは37歳の時です。
3歳年下の人気女優の大地真央さんと結婚しました。
お二人の出会いは1987年、舞台「風と共に去りぬ」での共演でした。
お互いそこで一緒に過ごす中で惹かれあったのでしょうね。
お二人の結婚は大きな話題となり披露宴は2億円とも言われテレビ中継もされました!
結婚から13年後、残念ながら離婚してしまいました。
離婚理由については情報がありませんでした。
お互い人気俳優と人気女優ですから日々すれ違いなどがあったのかもしれませんね。
再婚
その後、2005年11月に元女優の松本友里さんと再婚しました。
15歳年下で松平健さんが51歳、松本友里さんが37歳の時で、
お二人の出会いは、暴れん坊将軍での共演でした。
2度目の結婚も共演がきっかけでしたね。
やはり一緒にドラマを撮る中で自然と距離が縮まるのでしょうか。
再婚の約1年後の2006年10月に息子さんが誕生しました。
51歳でお父さんになった松平健さん。嬉しさもひとしおだったでしょうね。
その4年後、息子さんが4歳の2010年に松本友里さんが死去されました。
自宅のドアノブにロープで首をつっているところを発見され自殺だったようです。
自殺の理由は松平健さんとの不仲などではなく、実母の死去などによる精神的なものだったようです。
再々婚
衝撃的な別れを経験した松平健さんでしたが、2015年に10歳年下の一般女性と再々婚をしました。
一般人とのことですが、どのような出会いだったのか気になりますね。
いろんな出会いと別れを経験した松平健さん。
今の奥さんと末永く幸せになってほしいですね。
松平健さんと一人息子との関係
そんな松平健さんですが、息子さんとの関係はどうなのでしょうか。
2023年には17歳になった息子さん。高校2年生です。
思春期を迎え難しい年頃ですよね。
2020年のインタビューでは、
プライベートでは、中学2年になる息子さんと仲がいいという松平さん。
「世の中がコロナで自粛中も一緒に散歩したり、家のテーブルを使って卓球をしたり、息子と遊んでいましたね」
https://frag-lab.com/special_interview/79_03.html
仲がいい親子ですね。その年で一緒に散歩なんてなかなかしてくれないと思います。
きっと松平健さんに似てイケメンなんだろうなぁと想像してしまいます。
そろそろ将来の夢を考える年ごろなので、もしかしたら・・・お父さんと同じ俳優の道を進むかもしれませんね。
そうしたら2代目暴れん坊将軍!なんてこともあるかもしれませんね♡
松平健(マツケン)のまとめ
いかがでしたでしょうか。
松平健さんは3人兄弟の末っ子に生まれ、高校を中退後俳優の道を目指しました。
勝新太郎さんと運命の出会いを果たし大スターへと昇り詰めました。
マツケンサンバを披露し再度注目を浴びた後、今現在はYouTubuを開設しそちらでも活躍してます。
プライベートでは3回結婚をし、つらい別れを経験しつつ今の奥さんと一人息子と幸せに暮らしています。
幅広く活躍する松平健さんのますますの飛躍がこれからも楽しみですね
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