1929年(昭和4年)長崎県生まれた森田富美子さん。
1945年8月9日、16歳のときに長崎で被爆し、両親と3人の弟を一度に亡くしました。爆心地からわずか約200メートルという至近距離での被爆体験は、心身に深い傷を残します。
その壮絶な体験を戦後80年経った今もなお、被爆者として平和の大切さを発信し続けています。
そんな森田富美子の旦那はどんな人なのか、そして家族や娘・京子さんとの絆について知りたい方も多いでしょう。
この記事では、旦那の人物像や家族構成、心温まるエピソードを詳しく解説します。
森田富美子(わたしく96歳)の旦那はどんな人?
森田富美子さんの旦那に関しては、公的なメディアやインタビューでも詳細は明らかにされていません。名前や職業、結婚の時期などの具体情報は非公表のようです。
森田さんは現在、長女・京子さんと二人暮らしをしており、インタビューでも旦那について触れる場面はほとんどありません。
唯一、あるインタビューで49歳で急逝していたことがわかっています。
突然亡くなったとのことなので病気などではなく不慮の事故なのかもしれませんね。
富美子さんにとって旦那様は「家族として長年生活を共にし、支えてきた存在」だったのではないでしょうか。戦争体験やその後の暮らしを乗り越えてきた背景には、夫の存在もあったことは間違いないでしょう。
深い悲しみを抱えながらも歩み続ける森田さんの強さに心から敬服します。
森田富美子(わたしく96歳)家族や娘・京子さんとの絆!
富美子さんの活動は京子さんとの二人三脚で活動されていますが、実はお子さんが4人いらっしゃることがわかっています。京子さんは二番目のお子さんとのことで他の3人のお子さんについての詳しい情報は探してみましたがありませんでした。
唯一見つけたのは「長崎には息子たちもいたが」という文言。もしかしたら他の3人は息子さんかもしれませんね。
娘・京子さんとの特別な関係
森田富美子さんと娘・京子さんは、深い信頼と友情のような関係で結ばれています。
2007年、78歳だった森田さんは突然「東京に行く」と決断し、長崎から上京。娘の京子さんと一緒に暮らし始めました。
なぜ京子さんだったのかという問いに、
「一緒にいて一番楽しく、頼りになるのが京子さんだった」
— 文春オンライン
とのこと。
京子さんは小さいころアトピーや喘息の持病を持っていたそうで、眠れない夜はよく抱いて寝かせていたようで一番スキンシップがあったとのこと。幼い頃の病気で寄り添う時間が長かった分、京子さんとの絆は何より深まったのでしょう。抱いて眠った夜の温もりが、今も二人を強く結んでいるように感じます。
この“家出”のような上京は、森田さんにとって人生の大きな転機でした。東京での暮らしは新しい刺激に満ち、心身の健康にも良い影響を与えたといいます。
デジタルを使いこなす96歳
森田さんは70歳でパソコンを始め、翌日にはメールを送信して娘を驚かせました。
さらに90歳でiPadを購入し、血圧・体温・歩数をアプリで記録。京子さんから「スマホ依存症」と冗談を言われるほどのIT活用ぶりです。
91歳のとき、森田さんはTwitter(現X)で被爆体験の発信を開始。「わたくし90歳」というアカウント名で始め、年齢に合わせて名称を変えてきました。現在は「わたくし96歳」として発信を続けています。
フォロワーは8万人以上。短い言葉の中に強いメッセージを込め、「#戦争反対」というハッシュタグを使い続けています。
そんな富美子さんの著書2冊がこちらです。
森田富美子(わたしく96歳)のまとめ
- 森田富美子さんの旦那に関する具体情報は非公表。
- 現在は娘・京子さんと二人暮らしで、親子の絆が生活の中心。
- 90代からSNS発信を続け、平和の大切さを訴えている。
- 戦争体験を語ることで「命の尊さ」を伝える活動をしている。
旦那については語られないものの、その存在があったからこそ、今の森田さんがあると考えられます。家族の支え、特に娘・京子さんとの関係が、彼女の活動と生き方を支えているのです。
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