日本を代表するイラストレーター・画家、黒田征太郎という名前を聞けば、戦争、命、平和といったテーマを繊細かつ力強く描く作風と、社会性を帯びた表現を思い浮かべる人は多いでしょう。
一方で、創作の影にある彼の私生活、特に家族との関係には、一般にはあまり語られない物語があります。
今回は、黒田征太郎の元妻で料理家の 桜井莞子(かんこ/筦子) 氏との結婚と離婚、そしてふたりの間に育った子どもたちについて、公開された情報をもとに振り返ってみたいと思います。
この記事では、
・黒田征太郎の元嫁は桜井筦子で子供が二人いる!
・黒田征太郎の離婚理由は不倫だった!?
について、その背景や感触にできるだけ共感をもって読めるような記事を書きたいと思います。
黒田征太郎の元嫁は桜井筦子で子供が二人いる!

出会いと交際、結婚への道
桜井莞子さんは、料理・飲食やコーディネートに強い関心を持ち、後に “パロル” を手がけるなど独自の道を歩んでいく人物として知られています。
一方、黒田征太郎は1960年代以降にデザイン事務所 K2 を立ち上げるなど、デザイン・表現の世界で精力的に活動していました。
二人の関係が公に語られるエピソードには、いくつか波乱の要素があります。桜井さんによれば、交際当初、黒田氏はすでに形式上は妻帯者であったという事情があったようです。別居状態にあったものの、離婚が成立していない段階で桜井さんとプロポーズを重ねた、という話が語られています。
彼女が妊娠中、初めて黒田氏の実家(大阪)へ挨拶に行くことになった際、飛行機のチケットまで予約されていたにもかかわらず、黒田氏が帰宅せず、奇妙な言動をしていたという証言も残っています。挨拶に同行するはずの道中、彼の服装を脱いでいたり、キスマークがついていたりしたとの話もあり、これは二人の関係における最初の亀裂の象徴として語られます。
このような出来事を経験した桜井さんは、「怒り心頭」という言葉がふさわしい状態で大阪行きを拒否した、と自身で振り返っています。
子どもと、綱渡りの結婚生活
1970年頃、二人の間には長男(海太郎さん)が誕生しました。
さらに1975年には長女(海音子さん)が誕生。桜井さんは、出産前に「産みたくない」と発言したこともあったそうですが、黒田氏が土下座して謝り、もう変わることを誓った、と語っています。彼女にはその時点で未練や期待も残っていたのでしょう。
しかし、結婚期間中、桜井さんは「黒田氏の女癖が直らなかった」と述べています。夫が帰宅しない日々が続き、関係は次第に冷え込んでいったと語る場面もあります。
桜井さんは、自分と幼い子どもたちだけで過ごす時間のつらさを吐露しています。「子どもと二人だけでいるのが辛くて、年中友達を呼んでは料理をふるまって……」という言葉は、孤独さと孤立感を想像させます。
こうした日々が重なり、徐々に離婚への意思が桜井さんの中で固まっていったと見られます。
黒田征太郎の離婚理由は不倫だった!?
離婚成立とその背景
離婚が成立した年は 1988年 とされています。
離婚後、桜井さんは料理家・ケータリング事業などの道を強く歩み始めます。彼女の事業「パロル」は、その後、日本国内でケータリング、イベント演出、料理企画などで知られるようになります。
離婚の理由について、報じられている内容の中に「不倫」が含まれるものもありますが、それが完全に事実かどうかを確定する信頼できる一次情報は見つかっていません。多くの記述は、黒田氏の“女癖”を暗示するものや「帰宅しない」「怪しい行動」の証言が中心です。
桜井さん自身は、離婚後も前向きに仕事に打ち込み、料理家として、自身の道を切り拓いていきました。彼女は、高齢になってからも「のみや パロル」というお店を青山にオープンし、和食と出汁を大切にする料理を提供。看板は元夫・黒田征太郎氏が手描きしたというエピソードも語られています。
また、娘の海音子さんもその事業を支え、母娘で店を営む形になっているようです。
感想・共感できる視点
この夫婦の物語を聞くと、創作家と料理家という強い個性を持つ二人が出会ったとき、互いの表現欲や仕事への志向もまた、厳しさやズレを生む土壌になっていたのではないか、と想像されます。芸術家である黒田氏は「表現の自由」や「日常の枠を超える視点」を求める人であり、家庭よりも外の世界での衝動が強いタイプだったのかもしれません。一方で、桜井さんは料理・演出・現場仕事で細やかな心配りを要する性質を持ち、家と人との関係を大切にする人だったのでしょう。
「帰宅しない」「女癖」という言葉だけを聞けばセンセーショナルですが、それ以上に、その裏には孤独、待つ時間、許せぬ違和感、そして“信じたい”気持ちの揺れ動きがあったのではないか、と思います。特に幼い子どもたちと二人だけで過ごす時間のつらさや、安心を求める気持ちと裏腹な相手への不信感……このあたりは、誰しも人間関係で感じうるものではないでしょうか。
離婚という人生の転機を迎えても、桜井さんがその後、自力で事業を興し、歳を重ねても活動を続けていく姿には、私自身強い尊敬と共感を覚えます。誰かに依存せず、自分の手で人生を築く、という意志の強さが伝わってきます。
黒田征太郎のまとめ
黒田征太郎と元妻・桜井莞子(筦子)との関係は、出会いからして既婚状況や別居状態を含む複雑なものでした。交際・結婚の段階ですでに亀裂を孕んでいた可能性があります。
二人の間には長男と長女(海太郎・海音子)が生まれました。出産や子育ての過程でも、夫婦関係にはすれ違いが続いたようです。
離婚の成立は 1988年とされ、その後、桜井さんは料理・ケータリング分野で独自の道を築き、娘と共に事業を営むまでに至っています。
離婚の理由の一つとして「不倫」が語られることがありますが、公的・確実な証拠のある記録は限定的です。ただ、彼の「女癖」「帰宅しない日々」といった証言が、当時の夫婦関係を象徴しているように見えます。
この物語を通して、表向きの華やかさの裏にある孤独や葛藤、信頼と疑念の揺らぎ、そして再起を目指す意志──そうした人間の物語性を感じ取ることができます。
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